【トルコ】両国の友好関係に関するプレゼンを実施した理由とは。

お疲れ様です、じぇいぴーです。(^^♪

私はトルコで合計6か月間ほどホームステイで滞在しており、様々な活動をしてきました。

今回の内容は、以下記事の⑤に該当する「両国の友好関係に関するプレゼン(トルコ語)」となります。(参照:【トルコ】6か月間のホームステイ中に何をしていたのか。

日本とトルコは120年以上に渡り友好関係を構築してきていますが、大きなきっかけは2つです。

1つ目は、

「エルトゥールル号事件」

こちらは、「海難1890」というタイトルの映画にもなった話ですが、明治天皇の親書の答礼として1890年に、オスマン・パシャ提督率いる総勢650名の使節団が軍艦エルトゥールル号に乗り1890年に日本へやってきました。

しかし、帰路、同使節団は和歌山県串本町大島の沿岸で台風により沈没してしまいました。

結果として、オスマン提督含む587名の乗組員が死亡する惨事となりましたが、付近住民の献身的な救助により69名の乗組員を救出。

その後に日本海軍の巡洋艦によりトルコへ帰国した、というお話になります。

2つ目は、

「トルコ航空による邦人救出劇」

トルコ航空による邦人救出劇とは、エルトゥールル号事件から約100年後、1985年に勃発したイラン・イラク戦争の際、イラクがイラン領空の全航空機を攻撃対象とする発表をしました。

日本は海外に自衛隊機を派遣できず、テヘランにいた在留邦人250名が孤立する危機に瀕していました。

その時、トルコ政府は撃墜されるリスクを覚悟の上でトルコ航空機をイランに派遣しました。

結果として、イラクの攻撃設定期限直前で在留邦人はイランから脱出できた、というお話になります。

これらの2つの象徴的な出来事から、日本とトルコは120年以上に渡って友好関係を継続しています。

一方、私が普段接していた10代~20代の若い世代の間では、これらの出来事はあまり知られていないようでした。

実際、「エルトゥールル号事件」は昔はトルコの教科書に掲載されていたようですが、今は掲載されていないようです。

外務省が2012年にトルコで実施した対日世論調査でも「エルトゥールル号事件」の認知度は29.9%ほどでした。(参照:https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/5/0522_01.html

この調査では対象年齢は18歳~65歳となっていますので、同世代の若者に絞るともっと認知度は下がるのではないでしょうか。

このような経緯から、

『少しでも同世代の人に知ってもらいたい』

という思いだけでプレゼンを実施することと致しました。

そして2012年8月17日当日。

プレゼン開始数分後、自分が用意した内容が頭から消えて真っ白になってしまいました。(笑)

また思ったようにトルコ語が上手く話せませんでした。

その瞬間、すぐにでもプレゼンを中止したい気持ちでいっぱいでした。

ただ、皆が真剣に聞いてくれていたので、最後まで諦めずにプレゼンを実施することができました。

プレゼン後、友人の何人かと話していたら、

『この話知らなかった、ありがとう』

『これから日本とトルコの友好関係について考えていくよ』

といった言葉を掛けてもらい、非常に感慨深くて嬉しかったです。

 

以上です。何かしらのご参考になりましたら幸いです。(^^♪

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUT US

別称コミカルおじさん。人を笑わせたり楽しませることが好き。M-1グランプリ2018/2019出場経験あり。世界55か国訪問。学生時代はヘルシンキ大学交換留学や、トルコで海外教育インターンシップに従事。某日系メーカーに勤務しながら、米国公認会計士(USCPA)を取得。2020年3月より一般社団法人(教育事業)の副代表理事としても活動中。